政治や制度、経済、科学など、社会の重要な話を聞いていると、「なんとなく分かるけれど、全部はよく分からない」という感覚になることがあります。
専門家が専門用語を使うこと自体は、決して悪いことではありません。専門的な内容を正確に伝えるためには、専門用語が必要になる場合もあります。
しかし問題は、専門用語を使った結果として、説明を受ける側が「結局、何の話なのか分からない」という状態になってしまうことです。
例えば、根拠や実績、証拠を示す場面で、わざわざ「エビデンス」という言葉を使う。政府や経済団体が掲げるスローガンが、抽象的な言葉やアルファベットの略称ばかりになる。
もちろん、それぞれには意味があります。
しかし、説明する側にとって意味が分かっていることと、説明を受ける側に意味が伝わっていることは、まったく別の話です。
むしろ、難しい言葉が積み重なるほど、「何か重要なことを言っているらしい」という雰囲気だけが残り、肝心の中身が伝わらなくなることすらあります。
そして、その状態が続けば、「分からないようにわざと難しく話しているのではないか」という不信感につながることもあります。
だからこそ、重要なことほど、できるだけ簡単な言葉で説明する必要があるのではないでしょうか。
「一発で分かる名前」は、共通認識を作る
これを考えるとき、私が思い出すのが、昔仲間内で遊んでいたトレーディングカードゲーム「遊戯王」です。
当時、仲間内で話題になったカードに、「SNo.39 希望皇ホープ・ザ・ライトニング[公式サイト]」というモンスターカードがありました。
このカードは通常時の攻撃力が2500ですが、条件を満たして戦闘を行う際には、その攻撃力を5000にすることができます。公式のカードテキストでも、ダメージ計算時のみ攻撃力が5000になる効果が確認できます。
当時の私たちにとって、この「5000」という数字は非常にインパクトがありました。
有名な「青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)[公式サイト]」ですら攻撃力3000ですから、それを大きく上回ります。
そこで私たちは、このカードを正式名称では呼ばず、仲間内で「絶対に○すマン!」と呼んでいました。攻撃する瞬間に、どんな敵モンスターでも必ず倒しに行く戦士というイメージです。
正式名称が長いことに加え、「希望皇ホープ」という元になるモンスターの派生カードだったため、わざわざ正式名称を言わなくても、その通称だけで「ああ、あのカードね」と全員に伝わります。
もちろん、これは単なる仲間内の遊びです。
しかし、ここにはコミュニケーションを考える上で面白いポイントがあります。
名前を聞いただけで、相手の頭の中に同じものを思い浮かべてもらえる。
これは非常に強力なことです。
政治でも経済でも行政でも、本来は同じことが必要なのではないでしょうか。
「この制度は何なのか」「なぜ必要なのか」「私たちの生活にどう関係するのか」。
それを聞いた人が、一度聞いただけで大まかなイメージを持てるような名前や説明があれば、議論そのものがずっとしやすくなります。
難しい言葉を知っていることと、難しいことを分かりやすく説明できることは、別の能力です。
むしろ、本当に理解している人ほど、複雑な内容を簡単な言葉に置き換えられるのではないでしょうか。
「分からない人が悪い」で終わらせてはいけない
政治家や官僚、経営者、専門家など、社会の意思決定に関わる人たちが難しい言葉を使うことには、もちろん理由があります。
制度には制度上の正式な名称がありますし、経済や医学などでは、一つの言葉に複雑な意味を凝縮している場合もあります。
だから「専門用語を使うな」と言いたいわけではありません。
問題は、専門用語を使ったあとに、それを普通の言葉に翻訳する努力があるかどうかだと思うのです。
例えば、ある政策について説明するのであれば、「出生率の低下に伴う人口構造上の課題に対応するため……」と説明するだけで終わるのではなく、「子どもを産む世代の人口が減って、このままだと働く人も支える人も少なくなってしまいます」と、一度言い換えてみる。
経済についても、「金融政策や通貨価値、財政状況について説明します」だけではなく、「お金の量と価値のバランスが崩れると、私たちが普段使っているお金の価値にも影響します」と説明する。
気候変動についても、「脱炭素社会への移行が必要です」だけではなく、「今までと同じようにエネルギーを使い続けると、近い将来の環境や暮らしに大きな負担が残ります」と説明する。
こうした翻訳はいくらでもできるはずです。
もちろん、現実の問題はもっと複雑です。
だからこそ、最初に簡単な言葉で全体像を示し、その後で必要な人に向けて専門的な説明を加えていけばいい。
「専門的な説明を理解できない人が悪い」のではなく、重要なことを伝える立場にある人ほど、「どうすれば伝わるか」を考える責任があるのではないでしょうか。
特に、政策の失敗や想定外の結果が出たときには、それを認めることも重要です。
「当初の想定とは違う結果になりました。ここは私たちの判断が間違っていました」
と普通の言葉で説明する。
そのうえで、「だから次はこう変更します」と話す。
そのほうが、難しい専門用語を並べて説明を終えるよりも、はるかに誠実に感じられるはずです。
遊戯王とポケモンカードから考える「分かりやすい仕組み」
ここで、もう一度トレーディングカードの話に戻ります。
私は、近年のポケモンカードの仕組みを見ていると、「分かりやすさ」というものの重要性を感じます。
もちろん、ポケモンカードも決して単純なゲームというわけではありません。競技として突き詰めれば、非常に高度な戦略性があります。
それでも、カードの基本的な役割やルールを理解しやすく、カードを初めて見た人でも「このカードはこういうことをするカードなんだ」と把握しやすい設計になっています。
そして、競技環境では一定期間が経過すると古いカードがスタンダードレギュレーションから外れる「ローテーション」が行われます。2026年のスタンダードでは、Gレギュレーション(カード下にあるアルファベット表記)のカードが対象外となり、H・I・Jレギュレーションなどが使用可能とされています。これは公式にも「健全な競技環境を維持する」ための仕組みとして説明されています。[公式サイト]
一方、遊戯王ではカードプールが長期間にわたって積み重なり、強力な組み合わせについては禁止・制限カードなどによって調整する仕組みが採用されています。
どちらが優れているという話ではありません。
ただ、長く続くゲームにおいて、「分かりやすさ」と「ゲームバランス」をどう維持するかという問題は、国家や社会の制度にも少し似ているように思います。
ルールが増えれば増えるほど、例外が増えれば増えるほど、説明書は長くなります。
少し辛口で例を出すとするなら、スマホ契約時や通販の際によく見る、「これ、誰が全部読み切れるねん!?」っていう細かい字でびっしり書かれた契約書類の末尾に、「以上の契約に同意するならチェックしてください」となっている、まさにあの紙みたいなものです。
そして、長くなった説明書を読める人と読めない人の間に、情報格差が生まれます。
さらに、その複雑なルールを理解している一部の人だけが有利になってしまえば、「このゲームは自分たちには分からないところで勝敗が決まっているのではないか」という感覚を持つ人が出てくるかもしれません。
制度を作る側には、「どれだけ複雑な制度を作れるか」だけではなく、「どれだけ分かりやすく維持できるか」という視点も必要なのだと思います。
複雑で高度な制度を構築した先に、全員に理解が浸透していない中で後々発生するトラブルを解消するためのコストを考えれば、最初からシンプルに設計しておく方がお互いにとって良いに決まっているからです。
本当に頭のいい人ほど、簡単な言葉を使える
社会には、どうしても複雑な問題があります。
人口問題、経済、外交、エネルギー、医療、環境。
どれも、一言で説明して終わるようなものではありません。
しかし、複雑な問題だからといって、複雑な言葉で説明しなければならないわけではありません。
むしろ、「複雑なものを、複雑なまま話す」のではなく、「複雑なものを、簡単な言葉に翻訳する」ことこそ、説明する側に求められる技術なのではないでしょうか。
私は、自分自身を含めて、専門家ではない普通の人間にでも分かるように話してほしいと思っています。
「エビデンス」と言われるより、「根拠があります」と言われたほうが分かる。
「人口動態の変化」と言われるより、「子どもを産む世代が減っています」と言われたほうが分かる。
「脱炭素」と言われるより、「今までと同じように燃やし続ける生活を変えなければなりません」と言われたほうが分かる。
もちろん、こうした言い換えだけでは説明しきれない部分があります。
だから、その先に専門的な説明があればいい。
最初から最後まで専門用語だけで話す必要はないのです。
そして何より、分かりやすい言葉を使うことは、相手を馬鹿にすることではありません。
相手が理解できるところまで、自分の言葉を下げていくこと。
それはむしろ、相手を対等な人間として扱うことなのではないでしょうか。
社会という巨大な「ゲーム盤」のルールを決める人たちには、できるだけ多くの人がルールを理解できるように説明してほしい。
誰かだけがルールブックを読めるのではなく、子どもでも、大人でも、専門家でも、素人でも、「何が起きているのか」を大まかに理解できる。
そして、ルールを作る側が間違えたなら、「ここは間違えました」と認める。
そのうえで、「だから、こう直します」と説明する。
そんな仕組みのほうが、長い目で見れば人々から信頼されるのではないでしょうか。
難しい言葉をたくさん知っていることが、必ずしも知性の証明になるわけではありません。
難しいことを、誰にでも分かる言葉で説明できること。
私は、それこそが本当の意味で「頭のいい人」に求められる能力なのではないかと思っています。




