HLHSMANEKINEKO
まだ寒い冬のある日、ミオは学校の図書室で自習していた。
中学三年生。もうすぐ高校受験が控えている。決して勉強が得意な方ではなかったが、自分なりに今日まで頑張ってきたつもりだ。
参考書をめくっていると、後半のページに猫の挿絵があった。丸みを帯びたデフォルメのイラストで、寸胴な愛らしい猫が笑顔を浮かべている。『この方程式を覚えれば完璧ニャ!』というセリフが吹き出しに添えられていた。
その笑顔は、小さな頃に大好きだった招き猫によく似ていた。見ているこちらまで口元がゆるんでしまうような満面の笑み。ミオはページをめくる手を止め、しばらく見入ってしまった。
「ミオー!いたいた。帰り一緒に帰ろ? 買い物したいから、ちょっと街まで行かない?」
後ろからクラスメイトの声が飛んできた。意識がすっと現実に引き戻される。
「え、あ!うん!いこいこっ!」
もう少しだけ挿絵を見ていたかった気もしたが、参考書をパタリと閉じ、本棚へ戻した。
帰り道。街へ寄り道した帰りで、今日はいつもと違う道を歩いている。
あの招き猫がいた店、「ふるもの屋 あかつき」は、この先の角を曲がったところにある。
頭の片隅には、ずっとあった。大好きだったあの猫のこと。けれど成長するにつれて、店に足を運ぶことはいつの間にかなくなっていた。
一人で店を切り盛りしていたおばあさんに、長居して話し込むのも、どこか気が引けるようになっていた。
気がつくと、ミオは曲がり角で立ち止まっていた。
カーブミラーに映る自分の姿。その向こう、オレンジ色の空に包まれた街路。街灯の蛍光灯が、かすかに点滅している。
「どうするの?」
誰かに問われたわけでもないのに、そんな気がした。
「・・・行く。」
かすかな声がこぼれたときには、もう足は「あかつき」の方へ向かっていた。
店の前に着くと、シャッターは下りていた。
残念なような、どこかほっとしたような、言葉にしづらい感情が胸の奥で混ざり合い、込み上げる感情のカクテルに小さく息が漏れる。
店の前にはトラックが停まっていて、店内からは物音が聞こえていた。
やがて裏手から作業員が荷物を抱えて出てくる。立ち尽くしていたミオに気づき、軽く会釈した。
「あ、あの・・・。」
声が震えていることに、自分で驚く。
「店じまいらしくてね・・・。」
短い一言。それだけで、もう十分だった。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
「これで最後っす!」
奥から別の作業員が声を上げる。
その腕に抱えられていたのは――あの招き猫だった。手招きの腕はテープで固定され、ぴくりとも動かない。
「それはダメ!」
思わず大きな声が出た。
「だめ・・・。猫さんは、連れて行かないで。」
その場にしゃがみ込む。視界が滲む。まるで、小学生の頃に戻ってしまったみたいだった。
作業員たちは顔を見合わせ、困ったように視線を落とす。
「・・・すみません。」
それ以上の言葉はなかった。
トラックのエンジン音が大きく響き、やがて走り去っていく。ミオは、その背中が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
帰り道、さっきのカーブミラーに映った自分の顔は、ひどくぐしゃぐしゃで、思わず笑ってしまいそうになる。
本当に、笑ってしまいそうになるくらいに。
忙しくなって、店に行かなくなった自分。少しだけ距離を取ってしまった自分。それでも、今になって足を向けた自分。
家に帰ると、母が出迎えた。
「おかえり、ミオ? どうしたの?」
「・・・あかつき、閉まったんだね。」
それだけを言った。
母は一瞬だけ目を伏せ、静かに言う。
「受験が近かったから・・・。言わなかったの。」
「・・・うん。ありがとう。」
それ以上は何も言わず、ミオは二階の自室へ上がった。
もし先に聞いていたら――きっと、今日と同じ感情だったと思う。
二月。入試まであと数日という頃、ミオは誕生日を迎えた。
ささやかながら、家族でケーキを囲む。
「一本で十年分らしいぞ、これ。」
父が大きなローソクを見て笑う。
「へえ、じゃあもう大人だね!」
軽口を交わしながらも、ミオはその丸い白い形に、少しだけ胸の奥がちくりとした。
灯りが落とされ、ローソクに火がともる。揺れる光の中で、誕生日の歌が始まった。
息を吹きかけ、火を消す。白い煙が立ちのぼり、甘い香りが漂う。
食後、父から腕時計を受け取った。
「ありがとう。大事にする。」
続いて母から差し出された箱。少しだけ不揃いな包装紙。
「開けていい?」
頷きを見て、そっと包みを開く。
そこにいた。あの笑顔。
「・・・あ。」
声にならない。
「前にね、おばあさんが。店を閉めることになったら、ミオにって。」
母の声が遠くに聞こえる。
ミオはただ、招き猫を抱きしめた。涙が、ぽたぽたと落ちる。
「・・・これは、言ってほしかったかな。」
小さく笑って、続ける。
「でも、・・・ありがとう。」
抱き上げたとき、かすかに手が揺れた。
受験当日の朝。
父にもらった腕時計をつける。パチン、と音がして、気持ちが引き締まる。
机の上では、猫が静かに見守っている。
「猫さん、行ってきます!」
扉を閉める。その振動で、また小さく手が動いた。
電車の窓の外、朝日に照らされた水面がきらめく。
――誰かの願いを背負い、それを別の誰かにつないでゆく、小さな幸福の使者。
笑顔を呼ぶそのカラクリは、大好きな人の部屋に居場所を移した。
人の願い、幸せ、成功の祈りを手招きに乗せる笑顔の猫は、ずっと心の中で大事にしてくれていた人の元に辿り着いた。
この再会は、彼女の想いが招き寄せたのかもしれない。
笑顔のカラクリ[note]

町の片隅に佇む古道具屋と、そこに置かれた不思議な招き猫。願いを託した少女と、信じる力を求めた青年の出会いが、小さな奇跡を呼び寄せる――。人の想いが繋がる、心温まる優しい物語。
単行本
誰の人生にも起こりうる創作物語。心を温める人間ドラマ。
カバーイメージ
写真やイラストイメージをスケッチ風に変換できます。鉛筆で描いたデッサンのような味わいのある画像を提供します。


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