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人生の不思議な本 – HLHS0032

人生の不思議な本

今日もお仕事お疲れ様でした

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経営していた会社が倒産し、妻も出て行き、マイホームも失った。職業安定所で見つけた面接先でも門前払い。「未経験歓迎!誰でもできるアットホームな職場!」という案内さえも落ちた。面接官に、「で、君は我が社で何ができるの?」と踏ん反り返りながら鼻で笑われ、タメ口でこう言われてしまった。

気分転換に図書館を訪れた。本棚に並ぶ中で、赤い背表紙に『人生』とだけ書かれた1冊の本が目に留まった。

この物語は主人公の人生を章ごとに時系列順に綴った作品だった。途中まで読み進めるうち、自分の人生と重なる部分に気づいた。中盤、主人公も会社経営を失敗し破産していた。愛する妻にも捨てられ、自宅も…。共感と恐怖が入り混じり、興奮で鼻息が荒くなるのも気づかないほどだった。

この物語はまさに自分の人生そのものだ。次のページは、今日の後に続く出来事が書かれているのだろうか、と思いながら恐る恐るめくった。すると、急に年表形式になっていて、最初の出来事は現実の今日から数えて半年後だった。

主人公は半年後に運命の出会いをし、10ヶ月後には大きなチャンスを手にする。そして翌年の春、一つの出来事を経て成功を掴むようだ。年表の次のページには主人公の挿絵があり、吹き出しには「希望」「愛情」「感謝」など、ポジティブな言葉がずらりと並んでいた。物語の続きは最後まで書かれておらず、「救世主」という言葉が最終ページの挿絵に書かれていた。

変わった本だが、ポジティブな言葉によって勇気づけられた気分だった。図書館の閉館チャイムが鳴る頃に本棚に『人生』を戻し、家路についた。

希望

翌日から少し元気が出たので、久しぶりに散髪に行ってみた。お金には余裕がなかったが、人気店「QUNIURO」で新しいシャツを買ってみた。また、軽いダンベルを持つ習慣を毎日つけた。

ある日の面接の帰り、電車に乗っていた。結果はやはりダメだった。

とある駅で、席を立ち降りる女性のバッグから「ポトッ!」という音が聞こえた。バッグから落ちたパスケースを拾い上げ、追いかけて声をかけた。

「これ、落としましたよ!」

「えっ、ありがとうございます!助かりました!」

間に合ってよかった。ふと振り返った瞬間、電車のドアは無感情に閉まった。

「あの、本当にすみませんでした。もう私は帰るだけなんですが、この後にご予定ありますか?」

彼女の提案で、お詫びにカフェをごちそうしてくれることになった。自分も帰って寝るだけだったので、お言葉に甘えることにした。

彼女と話が合い、初対面なのに壁を感じなかった。過去の話題で盛り上がり、テーブルの上のコーヒーグラスはいつの間にか3つ目になっていた。

彼女は以前、丸ノ内のテック企業で働いていたと明かした。結婚もしていたが、金銭的な理由で別れたと話した。

「金の切れ目が縁の切れ目って言葉があるじゃない?そんな感じ。」

確かにそうだ。でも、彼女の話の続きは予想外だった。

「私が会社を去ることになって、彼の夢も諦めてもらうことになって。このご時世、次の就職先なんか簡単に見つからないから、お互いに自由になろうって提案したの。」

彼女が働いていて、旦那が家事をしていたこともありえる話だ。驚いている自分がいたが、きっと古い価値観に固執しているだけだ。

そして、彼女が今の自分と同じ立場であることにも驚いた。

「共通点が多いね。今後も友達としてご飯行ったりしない?」

「ぜひ!これに私の連絡先書いておくから、登録よろしくね。」

3杯目のコーヒーグラスを空にし、彼女は改札にパスケースをタッチして手を振った。

その後、彼女と正式に交際を始めた。

愛情

よく晴れた日の午後、僕たちは公園を散策していた。池の周囲をぐるりと囲む遊歩道を歩いていると、突然、スーツケースが単独で勢いよく転がってきた。どうやら坂道を転がり落ちてきたようだ。そのまま池の手すりに激突し、衝撃で開いた口から筆のようなものがひとつ、池の中へと落ちてしまった。

「ソレ、大事な物です!」

少し離れた広場で画板を広げていた男性が、慌てた様子で駆け寄ってきて叫んだ。どうやら、あの筆は彼にとってとても大切なものらしい。

「俺、取れます!」

そう声をかけて、僕は手すりによじ登り、池の側へ身を乗り出した。

「落ちないでね!」

彼女の声が背中越しに飛んできた。確かに、片腕で体を支えながら筆を掴むのは思ったよりもキツかった。でも、毎日欠かさず続けていたダンベル運動のおかげで、何とか池に浮かんでいた筆を掴み上げ、自分も無事に戻ってくることができた。

「アリガトウ!スゴイ!腕、スゴイですね!」

男性は日本人ではないようだったが、たどたどしいながらも一生懸命な日本語で感謝の言葉を伝えてくれた。彼女も、僕の横で笑顔で拍手を送ってくれていた。

彼は散らばったスーツケースの中から財布を取り出し、ためらいもなく一万円札を僕に差し出してきた。

「いえ、受け取れませんよ!」

僕は全力で首を振って拒んだ。だが、彼はビー玉のように澄んだ目で僕の両手をそっと包み込み、そのまま一万円札を押しつけるように手渡してきた。結局、僕は渋々受け取った。彼は見えなくなるまでニコニコと手を振っていた。なんとも不思議で、心あたたまる時間だった。

「いらないって言いつつ、やっぱり一万円は嬉しいよな…」

そう呟きながら、右手に握ったお札をふと見てみると、裏面に小さな紙片がセロテープで貼られているのに気がついた。

「名刺…?」

その紙には、英語とカタカナでこう書かれていた。

“Marshun Rich(マーシャン・リッチ)”

「マーシャン・リッチさんって、あの…!?」

隣にいた彼女がすぐに反応した。

「あの、って、どの?」

「えぇ、どのって……知らないの? 世界的に有名な画家よ。今、海外の芸術展で彼の作品がすごく高く評価されてるの。間違いなく、これから歴史に名を残すって言われてる人。」

知らなかった自分が恥ずかしいくらい、彼女は興奮気味にそう言った。

まさかあの優しい目をした外国人が、そんなすごい人物だったなんて――。

感謝

一つの季節が過ぎた頃、彼女との交際は穏やかに続いていたが、相変わらず就職先は見つかっていなかった。彼女も同じく職探しをしていたが、やはりどこにも雇い手がない状態が続いていた。

本当に、一度レールから外れてしまうと、元に戻るのは難しい世の中だと痛感する。

そろそろお互いに結婚を意識していた。でも、どちらかが仕事に就き、収入の安定を確保するまでは――そう、プロポーズは心の中にしまっていた。

すっかり通い慣れてしまった職業安定所。そのロビーで何気なく手に取った無料配布冊子に、絵画展の案内が載っていた。出展リストには、あの公園で出会った「マーシャン・リッチ」の名前もあった。

「自由な感じで、それでいてすごい人だった。あの澄んだ目が忘れられない。」

そんな思いがふとよぎった。直感的に、彼の作品を見れば、今の自分に何かが届くような気がした。迷わず、絵画展に足を運んでみることにした。

会場には多くの人が訪れていた。実は、美術館という場所に足を踏み入れるのはこれが初めてだ。今まで美術に対して無関心だった自分が、こんなにも人が集まる空間にいることに驚いた。そして、その空間を創り出している絵という存在の力にも。

カラフルだったり、まるで写真のようにリアルだったり――様々なタッチの絵に圧倒されながら進んでいくと、ついに「マーシャン・リッチ」のコーナーに辿り着いた。

彼の絵は、水彩で描かれており、優しい色使いが印象的だった。眺めているだけで、なぜだか心が落ち着く。

そして、展示の中に一枚――『救世主』というタイトルの絵があった。

それは、まさにあの日の公園だった。池のほとりからのアングルで描かれ、筆が水面に浮かんでいる。その筆に向かって伸びる腕、そして背景には、光をはらんだ柔らかい緑が広がっていた。

「俺がここに来ることなんて、知らなかっただろうに……やっぱり、すごい人だ。」

絵の完成度はもちろんだが、彼の人間性や包容力までもがキャンバスに滲み出ているような気がした。見ているうちに、心の奥に眠っていた何かが、そっと開かれるような感覚がした。

その時、背後から声がかかった。

「あの、すみません。」

振り返ると、美術展のスタッフと思われる女性が立っていた。

「私、マーシャン・リッチの日本事務所でマネージャーをしております。この絵の中の方、もしかしてあなたですか?」

名前も名乗っていない。身分も明かしていない。それなのに、なぜ?

「え、あ…そうですけど。どうして分かったんですか?」

「先生から伺っています。『大切な筆を拾ってくれた日本人の青年が、QUNIUROの黒いTシャツを着ていた』と。その特徴だけで、もしやと思い、お声をかけました。」

QUNIUROの黒いTシャツ――。偶然にも今日は、あの日着ていたものと同じ服だった。そんな情報ひとつで自分を見つけてくれるとは、さすが『芸術を感じる人たち』の洞察力だと思った。

「先生から伝言があります。『あの時は本当にありがとう。ぜひ名刺の番号に電話をくれ』と。そして、私からも先生に代わって改めてお礼を申し上げます。」

彼女は深く頭を下げた。僕も思わず頭を下げ返した。

帰宅してすぐ、あの日に受け取った名刺を手に取り、記された番号に電話をかけてみた。しばらくコールが鳴ったのち、あの優しい声が電話越しに響いた――。

救世主

「……あの時、筆を拾った者です。」

「オワァ! チョット待って、国際電話、折り返す!」

彼は慌てたように言い残し、すぐに通話を切った。通話料を気にしてくれているのだろう。間もなく、今度は向こうから着信が入り、再び繋がった。

まず僕は、絵画展に足を運んだこと、そして彼の描いた『救世主』という作品を見たことを伝えた。あの場面を絵にしてくれたことが、どれだけ自分の心に響いたか、お礼も伝えたかった。

「筆、ワタシが受け継いだモノ。アナタは救世主。私、今、スタッフ足りない。どうデスカ? 一緒に仕事、しませんか?」

なんと、彼のチームの一員として迎えてくれるという。まさか、そんな話になるなんて想像もしていなかった。

「えっ…でも、俺、芸術のことなんて何もわからないし。本当に、力になれるかどうか……」

突然の申し出に戸惑いを隠せなかった。せっかくの好意を無駄にしたくない気持ちと、期待に応えられなかったらという不安が胸に広がる。

すると、彼は迷いを吹き飛ばすように、力強くこう言った。

「仕事のスキルは、後から得られる。でも、救世主は、得られない!」

その言葉が、まっすぐ胸に響いた。

言葉の壁があるはずなのに、彼の言葉はとてもクリアで、温かく、心を動かされた。

「……やってみます。よろしくお願いします。」

そう答えた時、自分の中で何かが確かに動いた。新しい人生のページが、また一つめくられたような気がした。

後日、正式にマーシャン・リッチの日本事務所のスタッフとして迎えられた。

あの時の女性マネージャーも事務所にいて、僕が筆を拾った経緯や、絵のことも他のスタッフに紹介してくれた。その日から、僕は温かく迎え入れられ、チームの一員として新たな一歩を踏み出したのだった。

次章

思い返してみれば、これまでの出来事は、まるで夢のようだった。会社の倒産、元妻との別れ、そして失ったマイホーム――あの頃の自分が、今の自分の姿を想像することなど到底できなかっただろう。

それでも――

あの日、図書館で出会った一冊の本。『人生』という、ただそれだけのタイトル。真っ赤な背表紙に惹かれて手に取ったあの本が、すべての始まりだったのかもしれない。

その本に描かれていた主人公の人生と、自分の人生があまりにも重なっていて、不思議と心が震えた。そして、挿絵に添えられていた短いセリフの数々――「希望」「愛情」「感謝」――それらが、どこか心に灯をともしてくれたような気がした。

あの日から、確かに何かが変わった。

不思議なことに、あの本をいくら検索しても出てこない。「人生」というあまりにもシンプルなタイトル、赤い背表紙、――それだけでは探しようがないのかもしれない。まるで、『QUNIUROの黒いTシャツの人』くらい抽象的な手がかりしか手元にない。せめて、作者の名前を覚えていればよかったのに。

あの本は途中から年表形式になり、その後は挿絵だけのページが続いていた。少し変わった構成だったが、不遇な時期の自分にとっては、まさに心の支えだった。ページをめくるたび、前向きな言葉に背中を押されているようで、「きっと、まだ終わっていない」と思えた。

「また読みたいな……でも、もう見つからないのなら仕方ないよな。」

そうつぶやきながら、コーヒーカップをそっと置く。ふと視線を落とすと、左手の薬指に光る指輪が目に入った。彼女は、僕のプロポーズに応えてくれた。今、僕たちは新しい人生を歩き始めている。

いや、そうじゃない。

毎日が、新しい人生そのものだ。

まるで、一日一日が、一冊の本のページのように思える。

あの本の最後のページに、何が書かれていたのか――今ではもう思い出せない。けれど、それでいい。なぜなら、これからのページは、自分の手で書き足していけるのだから。

一ページずつ、丁寧に。そして、明日もまた、人生の続きを歩いていこう。

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