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ガラスの国の王 – HLHS0027

ガラスの国の王

ウラオモテ社会

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第一章:理想という名の設計図

エルマリア共和国──それは戦争と貧困を乗り越えて成立した、希望の国だった。

大統領ラシェル・イグナートフは、かつて革命の旗手だった。暴政を倒し、血と涙の中から、民衆によって選ばれた指導者となった彼女は、心から誓っていた。

「私はこの国に平等を。すべての人が幸福を感じられる社会を。永続する平和を。」

その言葉に嘘はなかった。

ラシェルは強い信念をもって改革を進めた。最低所得保障制度、教育費の無償化、思想と言論の自由。全ての国民が同じ出発線に立てるよう、そして誰もが誰かに貶められずに生きていけるようにと、あらゆる政策を講じた。

国内外のメディアは彼女を「ガラスの国の女王」と呼んだ。透明で、傷つきやすく、しかしその理想は誰よりも美しかったからだ。

だが、それはやがて、割れ始めた。

第二章:傷つく自由、押しつけられる平等

平等を求めた社会には、皮肉な均質化が訪れた。

「同じであること」が強調され、「違うこと」が次第に恐れられるようになっていった。

障害者を特別扱いしない教育制度は、逆に支援の手を奪い、貧困家庭への過剰な支援は、中間層の不満を呼んだ。

ある記者が書いた。

「ラシェル政権は、皆のために働くが、時に誰のためでもない。」

自由な意見を保証したはずのSNSでは、互いの「正義」がぶつかり合い、言葉の暴力が飛び交った。幸福とは何かをめぐる争いが、かえって人々を不幸にした。

ラシェルは思った。

「平等とは、違いを否定することなのだろうか。」
「幸福とは、万人が同じ方向を向くことなのだろうか。」
「平和とは、本当に争いのない状態でよいのか?」

それでも彼女は進もうとした。完璧な設計に向かって、ひとつずつ矛盾を解消しようと。

だが、彼女の補佐官であり友でもあった老哲学者アランは、ある夜こう告げた。

「ラシェル、君は正義の設計者になろうとしているが、それは君一人が持てる重さではない。」

第三章:反転する正義

ある日、貧民街の暴動が発生した。

きっかけは「ベーシックフード法」の改正だった。すべての人に等しく与えられた栄養食品に、地方によって違う味を付ける新方針が出されたとき、ある都市の若者たちが叫んだ。

「平等を壊すのか!味の違いは格差の始まりだ!」

別の都市では別の怒りが爆発していた。

「やっと俺たちにも選べる自由が来たのに、なぜ反対するんだ!」

同じ政策に、正反対の評価。

その混乱を前に、ラシェルはひとり大統領執務室の椅子に沈んだ。窓の外、照明に照らされた「人民の塔」の像が、静かに見下ろしていた。

「私が作ったのは、理想の国ではなく、答えを押しつける国だったのかもしれない。」

第四章:コインの片面だけを握りしめて

ラシェルは旅に出た。公式には「地方視察」とされていたが、それは一人の政治家が一人の人間として、もう一度民の顔を見直す旅だった。

ある村で、彼女は老人と囲炉裏を囲んで語った。

「平等って何だと思いますか?」と尋ねた彼女に、老人は笑った。

「そりゃ、表と裏がくっついてるコインみたいなもんさ。」

「貧乏人が金持ちを羨むのは自然だし、自由にしたら争いも増える。でもね、問題はコインのどちらが上に出てるかじゃない。両面がつながってるって気づくかどうかさ。」

ラシェルは目を閉じた。

「……私はずっと、表面しか見ていなかった。」

最終章:ガラスの国に差す影

数ヶ月後。ラシェルは国会演説の場に立っていた。

演説の最後、彼女はこう語った。

「私たちは、完全な平等を求めて社会を造りました。ですが今、私は皆さんに問いかけたい。完全な平等は、完全な幸福ではなかったのではないでしょうか。」

「この国を変えたい。そのためには、表だけでなく裏をも抱きしめなければならない。」

「異なる価値観を排除しないこと。誰かの正義と、誰かの違和感が同時に存在しうることを、国の礎にしたいのです。」

その日、国会は静まり返った。拍手も、罵声もなかった。

だがその静寂の中に、確かな「始まり」があった。

国は変わらなければならない。そして、国が変わるために必要なのは、理想の更新ではなく、矛盾への敬意だった。

後日、

――ラシェルは大統領職を辞し、対話と共存のための市民サークルの一員となった。
彼女の後ろ姿には、かつての正義の旗はなかったが、静かな尊厳と、矛盾への理解が宿っていた。

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