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昼食は愛情の処方箋 – HLHS0026

昼食は愛情の処方箋

もちっと香ばし塩焼きそば

PhotoAC[31194196]

昼過ぎ、陽射しがカーテン越しに差し込んでいる。

龍樹(たつき)はようやく布団から這い出すと、よろよろとキッチンへ向かった。テーブルの上には、母が置いていったメモと、白いお皿にラップのかけられたお昼ごはんがあった。

「レンジで1分半。お味噌汁は鍋。」

簡単な言葉。だけど、その言葉には、どこか彼の時間を受け止めようとする優しさが滲んでいた。

母は毎朝、仕事に出る前に必ずこうして昼ごはんを作っていってくれる。龍樹が社会に出て、心を壊してから、もう何年も続いている習慣だった。

彼はそのまま温めた味噌汁を啜りながら、ぼんやりとテレビを眺める。内容は頭に入らない。ただ温かい汁の味と、ご飯の柔らかさが、確かに彼を今日も生かしていた。

かつて彼は、東京の大学を出て、システム開発の会社に就職した。順風満帆なスタートのはずだった。だが、新卒一年目の春、突然、身体が動かなくなった。

朝起きられず、吐き気と動悸、何をするにも焦燥感がつきまとった。診断は、うつ病。会社は長期休職を認めたが、結局そのまま退職した。

「情けないな……俺、何やってるんだろうな……」

布団の中で何度も呟いた。自分の存在が空虚に思えた。家族に迷惑ばかりかけて、社会にも戻れず、夢も見失い、時間だけが流れていった。

ある日の夜だった。

彼は自分の人生に終止符を打とうと、書きかけの遺書を握りしめていた。その手は震えていた。

その前に、せめて母に感謝を伝えよう。そう思って、ふと、声をかけた。

「……毎日、ありがとう。ごはん……ほんとに助かってる」

母は洗い物をしている手を止めて、こちらを見た。そして、何でもないことのように言った。

「当たり前でしょ。あなたの親なんだから。……それより、生きててくれてありがとうね」

その瞬間、涙が頬を伝った。

「生きててくれてありがとう」

その言葉に、彼は心のどこかで「許された」と感じた。

それから少しずつ、彼の生活は変わった。

薬をちゃんと飲み始めた。

夕方、誰もいない時間帯に散歩に出るようになった。

近所の図書館で、静かに座って本を読む練習もした。

人と話すことが怖かったけれど、店員に「ありがとう」と言えるようになった日、自分に拍手したくなった。

やがて、昔かじっていたプログラミングの知識を使って、簡単なWebサイト制作の仕事を受けるようになった。ネット越しのやりとりなら、不安も少ない。

ほんの一歩ずつ。それでも、着実に世界とつながっていると感じられた。

「ただいまー」

母の声が玄関から響く。龍樹は返事をして、冷蔵庫から麦茶を出しておいた。母は手を洗いながら言う。

「今日、焼きそば作ったの。食べた?」

「うん、美味しかったよ。ありがとう」

「それはよかった。明日もまた作るね」

彼は頷きながら、ふと思った。

この何気ない会話、このごはん。この日常が、どれほど深い愛情に支えられているか、ようやく自分はわかるようになったのかもしれない。

母がくれる昼ごはんは、もしかしたら薬よりも効き目がある。それは、生きていていいんだという、ひとさじの安心だった。

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