ノイズの海で – HLHS0022

首都圏東京上空の眺望
朝起きると、アプリの通知が38件。
「第三次世界大戦の兆候」「通貨崩壊の前兆」「2025年、人類の分岐点」
それらの見出しが、スクリーンの上でせめぎ合っている。カフェオレを淹れながら、それを眺めるのが日課だった。
最初は「情報感度が高い自分」を誇らしく思っていた。でも、ある朝ふと気づいたのだ。
──心が、もう何も信じられなくなっていることに。
仕事中、隣の同僚が言った。
「大統領にカルタ氏が再選したら世界は終わりだってさ。日本も巻き添えだって、ほらこの動画見てみ」
画面には、不安げな声でまくしたてる男。アニメのBGMが不釣り合いに明るくて、吐き気がした。
「……また、崩壊するらしいね」
そう返すと、同僚は笑った。「ほんと、毎年崩壊してんな」
帰宅途中、駅のホームに立つと、広告スクリーンに「最新の危機情報を見逃すな」という文字。
もう何もかもが、煽りと不安でできている気がした。
世界は壊れる壊れると言いながら、壊れもせず、ただ不安を撒き散らして生き延びている。
ふと、ベンチに座っていた老人が話しかけてきた。
「今の世の中、音が多すぎるねえ。何を聞いても、心に残らん」
その一言が、やけに沁みた。
家に帰って、スマホの電源を切った。
ニュースも、SNSも、誰かの「予言」も、全部シャットアウトして、部屋の明かりを落とす。窓の外には、ただ静かな夜の街。
何も起きていない。誰も叫んでいない。崩壊もしていない。
静かだった。
久しぶりに、心の奥の深いところが、ようやく呼吸をしている気がした。
翌朝、スマホはまだオフのまま。
代わりに、図書館で見つけた古い詩集を手に取る。
ページをめくると、こんな言葉があった。
「言葉は音になり、音は波になり、波はやがて、静けさに溶けていく。」
自分の中で何かが、少しだけ戻ってきた気がした。
何かを信じたい、と思える自分。
信じてもいいと思える世界。
ノイズの海の中で、ほんの少しだけ静かな陸地を見つけたような──そんな朝だった。
それからしばらく、スマホの電源は入れなかった。
代わりに日記をつけるようになった。
何も劇的なことは起きていない。ただ、季節が進み、空の色が微妙に変わり、通勤電車の中で赤ちゃんをあやす母親に目が行くようになった。
「崩壊」なんて言葉を、しばらく聞いていなかった。
ある日の昼休み、久しぶりにスマホの電源を入れた。
SNSは相変わらず騒がしかった。けれど、どこか勢いを失っているようにも見えた。
「例の予言、外れたじゃん」
「いや、まだ終わってない。今年じゃなくて来年だったってさ」
「来年?なんだそりゃ」
「地磁気の逆転が本格化するのは2026年らしいよ」
「もはや定番ネタだなw」
その投稿をスクロールしながら、静かに肩をすくめた。
「また先送りか……まるで終末のサブスクリプションだな」
カフェの窓際に座って、ノートに文字を書きつける。
「世界は、今日も普通にまわっている。壊れもせず、奇跡も起きず。けれどそれでいい。むしろ、そこにこそ希望がある。」
カフェの店員が、「いつものブレンドでよろしいですか?」と笑いかける。
俺はうなずきながら、窓の外に目をやる。
陽射しが強くなり、街路樹の葉が初夏の風に揺れていた。
誰も騒いでいない。誰も怯えていない。世界は、今日も何も劇的なことなく続いていく。
夜、家に戻り、カーテンを開けると月が浮かんでいた。
テレビでは相変わらず、不安げな顔をしたコメンテーターがなにか言っていたけれど、音量はゼロのまま。
もう、あのざわめきに心を寄せなくてもいい。
世界は壊れるより先に、きっと変わっていくのだと、今なら思える。
明日もまた普通の日になる。
それでいい。
それが、いい。