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余白だらけの企画書 – HLHS0016

余白だらけの企画書

筆記用具と白紙のアイデア帳

PhotoAC[32594591]

会議室のガラス窓に、午後の光が斜めに差し込んでいた。

高梨咲(たかなし・さき)は、ノートパソコンの前で手を止めていた。画面には「新規プロジェクト案」とだけタイトルがあり、その下は空欄。締め切りは今日。あと2時間後に社内プレゼンが控えていた。

しかし、アイデアが浮かばない。正確に言えば、「それっぽい案」は山ほど浮かんだ。競合のトレンドをなぞったデザイン案、上司が好みそうな安全策、コストを下げた機能縮小案……。けれど、どれもしっくりこなかった。

——私が出す意味、あるのかな。

そんな思いが頭の隅でずっとくすぶっていた。

咲は、白紙のままのノートを開いた。キーボードではなく、手書きで思考を整理したくなるときがある。中途半端に走り書きした案が何個か並んでいる。そのどれも、あと一歩が足りない。

そのとき、不意に背後から声がした。

「なにも書いてないようで、一番書いてある時間だよね、こういうのって」

振り向くと、同期の川原が缶コーヒーを2本持って立っていた。ひとつを無言で差し出してくる。

「……うん。考えてはいるんだけど、どれもしっくりこなくてさ」

「咲のノート、白紙が多いよな。でもさ、それって“まだこれから”っていう余白じゃん? 余白って、希望だよ。埋めるための空間」

川原のその言葉に、咲は少しだけ肩の力を抜いた。

「私さ、最近ずっと“正しい企画”ばかり考えてた気がする。怒られないやつ、通りそうなやつ……。でも、本当は“やってみたい企画”を出すべきなんだよね」

「うん。俺も同じことで悩んでた。今って、効率とか売上とか“正解”が可視化されすぎて、自分の“思いつき”が怖くなる。でもさ、咲の案って、いつも“温度”があるんだよ。数字じゃ測れないやつ」

咲は、不意に目を見開いた。

ノートの隅に走り書きしていた、忘れかけていた一行が目に留まった。

《使い捨てではなく、“思い出に残る”文房具を》

それは、ふとした夜に浮かんでメモしたフレーズだった。商品企画のテーマとしては少し夢見がちで、現実的な評価が得られるとは思っていなかった。けれど、それが今、一番心に引っかかっている。

「……やっぱり、出してみる。私の白紙、これで埋めてみるよ」

川原は微笑み、ペンを取り出して咲のノートに一言だけ書いた。

《咲の“らしさ”を忘れないこと》

咲は頷き、ゆっくりと鉛筆を取り出して書き始めた。自分の言葉、自分の視点、自分が本当に「欲しい」と思ったプロダクトについて。ビジネスとして成立させるための工夫はあとから考えればいい。今はまず、「描くこと」から始めよう。

2時間後、会議室。

彼女のプレゼンは、一部の管理職には「甘い」と評されたが、開発チームや若手社員たちには拍手で迎えられた。

「これ、俺が子どもの頃に欲しかったやつだ」

「うちの子に買いたい、って思った」

咲のノートは、あのときは白紙だった。でも、そこには確かに「思い」が詰まっていた。

プレゼン後、川原がつぶやいた。

「空白を恐れないやつが、最初の線を引くんだよな。たとえそれが、下書きでも」

咲は、机の上の鉛筆を見つめて微笑んだ。

——この線は、何度でも書き直せる。だからこそ、自分で引く意味がある。

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