余白だらけの企画書 – HLHS0016

筆記用具と白紙のアイデア帳
会議室のガラス窓に、午後の光が斜めに差し込んでいた。
高梨咲(たかなし・さき)は、ノートパソコンの前で手を止めていた。画面には「新規プロジェクト案」とだけタイトルがあり、その下は空欄。締め切りは今日。あと2時間後に社内プレゼンが控えていた。
しかし、アイデアが浮かばない。正確に言えば、「それっぽい案」は山ほど浮かんだ。競合のトレンドをなぞったデザイン案、上司が好みそうな安全策、コストを下げた機能縮小案……。けれど、どれもしっくりこなかった。
——私が出す意味、あるのかな。
そんな思いが頭の隅でずっとくすぶっていた。
咲は、白紙のままのノートを開いた。キーボードではなく、手書きで思考を整理したくなるときがある。中途半端に走り書きした案が何個か並んでいる。そのどれも、あと一歩が足りない。
そのとき、不意に背後から声がした。
「なにも書いてないようで、一番書いてある時間だよね、こういうのって」
振り向くと、同期の川原が缶コーヒーを2本持って立っていた。ひとつを無言で差し出してくる。
「……うん。考えてはいるんだけど、どれもしっくりこなくてさ」
「咲のノート、白紙が多いよな。でもさ、それって“まだこれから”っていう余白じゃん? 余白って、希望だよ。埋めるための空間」
川原のその言葉に、咲は少しだけ肩の力を抜いた。
「私さ、最近ずっと“正しい企画”ばかり考えてた気がする。怒られないやつ、通りそうなやつ……。でも、本当は“やってみたい企画”を出すべきなんだよね」
「うん。俺も同じことで悩んでた。今って、効率とか売上とか“正解”が可視化されすぎて、自分の“思いつき”が怖くなる。でもさ、咲の案って、いつも“温度”があるんだよ。数字じゃ測れないやつ」
咲は、不意に目を見開いた。
ノートの隅に走り書きしていた、忘れかけていた一行が目に留まった。
《使い捨てではなく、“思い出に残る”文房具を》
それは、ふとした夜に浮かんでメモしたフレーズだった。商品企画のテーマとしては少し夢見がちで、現実的な評価が得られるとは思っていなかった。けれど、それが今、一番心に引っかかっている。
「……やっぱり、出してみる。私の白紙、これで埋めてみるよ」
川原は微笑み、ペンを取り出して咲のノートに一言だけ書いた。
《咲の“らしさ”を忘れないこと》
咲は頷き、ゆっくりと鉛筆を取り出して書き始めた。自分の言葉、自分の視点、自分が本当に「欲しい」と思ったプロダクトについて。ビジネスとして成立させるための工夫はあとから考えればいい。今はまず、「描くこと」から始めよう。
2時間後、会議室。
彼女のプレゼンは、一部の管理職には「甘い」と評されたが、開発チームや若手社員たちには拍手で迎えられた。
「これ、俺が子どもの頃に欲しかったやつだ」
「うちの子に買いたい、って思った」
咲のノートは、あのときは白紙だった。でも、そこには確かに「思い」が詰まっていた。
プレゼン後、川原がつぶやいた。
「空白を恐れないやつが、最初の線を引くんだよな。たとえそれが、下書きでも」
咲は、机の上の鉛筆を見つめて微笑んだ。
——この線は、何度でも書き直せる。だからこそ、自分で引く意味がある。