月光列車 – HLHS0012

ムーンライト・レイル
12月の風が、線路の敷石を冷たく撫でていた。
公園の片隅に、かつて都市と郊外を結んでいた電車「HR011-39」が静かに佇んでいる。その車両の前に、ひとりの老紳士が立っていた。黒のロングコートを着込み、手には古びた運転士の帽子。彼の名は伊達誠一――元・東宮鉄道の運転士である。
「おはよう。今日も冷えるな。」
誰にともなく、いや、おそらく目の前の車両に向けて呟いた。HR011-39は、彼が入社した日に納車されたばかりの車両だった。以来、彼は数十年にわたってこの車両と共に走り続けてきた。
月明かりの下、その車両の側面にうっすらと霜が降りている。かつて走っていた時代、HR011-39は決して目立つ存在ではなかった。けれど、伊達にはわかっていた。この車両には、特別な「癖」があったのだ。ブレーキ時、圧縮空気が「シュッ」と、小さく囁くような音を立てる。それはまるで、車両が息をつくような、あるいは安心をくれるような――人間味のある音だった。
「あの時、お前が守ってくれたんだよな。」
伊達は記憶の引き出しを開ける。
あれは十数年前の冬の夜だった。回送列車の乗務中、踏切の向こうに大型トレーラーが立ち往生しているのを見つけた。直線区間、制動距離は十分ではない。伊達は咄嗟に非常ブレーキを引いた。車両が激しく軋み、彼の体は前へ投げ出されそうになる。
――間に合ってくれ、頼む!
そのとき聞こえた。「シュッ」。あの小さな音。
列車は、数メートル手前で止まっていた。
「機械は冷たい箱じゃない。命を守ってくれた存在には、魂があるように思えるんだ。」
彼はそう感じていたし、それ以降もHR011-39への想いは強くなるばかりだった。
やがて定年が近づき、車両もまた引退の年を迎えた。上司から「引退イベントの最終乗務を頼む」と告げられたとき、伊達は一瞬だけ胸が詰まった。しかし答えは決まっていた。
イベント当日、車庫から始発駅へと向かう。車両の運転台に乗り込んだ伊達は、小さく呟いた。
「今日も頼むぞ。」
ホームには大勢の人々が集まっていた。紙に書かれた手書きのメッセージ。年配の夫婦、小さな子どもを連れた家族。中には涙を拭く人もいた。
「この車両は、人の人生を運んできたんだ。」
伊達の胸に、言葉では表せない感情が湧いていた。
終点の駅に到着するころには、空が藍色に染まり、やがて夜の帳が下りていた。最後のブレーキ操作。「シュッ」と、あの音が静かに響く。
「……ありがとう。」
そう言って、伊達は運転台から静かに降りた。
その後、HR011-39は公園に保存されることが決まり、今もこの場所に静かに立っている。伊達は早朝、決まってこの車両の前に立つ。そして手記を書き綴るようになった。それは過去を懐かしむためだけではない。生きてきた道を、走ってきた鉄路を、確かに心に刻むためだった。
夜明け前の公園の空には、今夜も月が浮かんでいる。
おぼろげに、やさしく。まるで灯具のように。