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[この記事は生活保護を正当化するためのものではありません]
結論から言います。お金はただの循環型の道具に過ぎません。
生活保護を受けながら暮らしている人が許せない、という意見を耳にすることがあります。
そこで今回は、少し変わった思考実験を紹介してみたいと思います。
「もし、日本中の人が生活保護受給者一人ひとりに毎月たった1円ずつ応援の投げ銭をしたら、社会はどうなるのか?」
もちろん現実には実現しません。
でも、この極端な例を考えてみると、お金とは何か、経済とは何か、そして生活保護や貧困が本当に個人だけの問題なのかが、少し違った角度から見えてくるかもしれません。
隠す必要もないので書きますが、私は現在、生活保護を受給しています。
一般企業で働こうとしても、人間関係で何度もつまずきました。現在はイラストや写真関係の仕事を続けながら、足りない生活費だけを生活保護で補っています。
だからこそ、「受給する側」と「働く側」の両方の感覚を持ったまま、この話を書いています。
私は、この言葉は少しだけ視点が足りないと思っています。
社会は働く人だけでは成立しません。
商品を作る人がいても、それを買う人がいなければ仕事は成立しません。
需要があるから生産が生まれ、生産があるから消費が生まれる。
この二つは鶏と卵のような関係です。
生活保護で支給されたお金も、食品や日用品、家賃、光熱費、通信費として地域のお店や大家さん、企業へ流れていきます。
つまり、お金は止まっているのではなく、社会の中を循環しています。
GDPは、生産だけではなく消費も含めた経済活動の規模を表す指標です。
もちろん、単純にお金を右から左へ動かしただけでは社会が豊かになるわけではありません。しかし、お金が全く動かなければ、経済活動そのものが縮小してしまいます。
仕事だけでは社会は回らず、消費だけでも社会は回りません。
この両方が存在して初めて、経済は循環します。
ここからは、あくまで思考実験です。
令和8年4月時点で、生活保護受給世帯は約84万世帯あります。
一方、日本の人口は約1億2千万人です。
もし全国民が毎月1円だけ生活保護世帯に寄付したとすると、集まる金額は約1億2千万円になります。
これを84万世帯で割ると、一世帯あたり毎月100円あまりです。
もちろん、これでは生活保護制度はなくなりません。
ですが、ここで考えてみてほしいのです。
一人ひとりの負担が1円では再分配も100円程度なのですが、社会全体で見たら大規模なお金の動きになります。
生活保護制度も、税金という形で社会全体が少しずつ支え合って成立しています。
私が言いたいのは、お金とは個人のものではなく、社会全体で循環する仕組みだということです。
人はただ生きて居てくれるだけでも既に経済循環に貢献していると言えます。食事をし、住み、誰かのサービスを利用し、社会の中でお金を循環させています。
だからこそ、生活保護受給者を敵として見るよりも、「どうすれば循環がもっと良くなるのか」を考える方が建設的ではないでしょうか。
私は、貧困そのものよりも、お金の流れ方に問題があると感じています。
AIや自動化によって、一人で以前より多くの仕事ができるようになりました。
インターネットでは、日本で生まれた利益が海外企業へ流れる場面も増えています。
株式や不動産など、資産を持つ人ほど資産が増えやすい仕組みもあります。
もちろん、努力して成功した人を否定したいわけではありません。
しかし一方で、病気や障害、高齢、家庭環境など、自分の意思だけでは乗り越えられない事情を抱える人もいます。
社会には、生産する能力だけでなく、支え合う仕組みも必要です。
私は、このバランスが少し崩れている状態を、「社会システムのバグ」と表現しています。
人が怠けているからではなく、社会の仕組みと技術の進歩が、昔とは違う働き方を生み出しているからです。
最近では、AIが人間の仕事を代替する未来が現実味を帯びてきました。
もしAIが多くの仕事を担うようになれば、人間はどのように収入を得るのでしょうか。
収入がなければ、AIが作った商品を買う人もいなくなります。
だから近年では、ベーシックインカムのような制度についても世界中で議論されています。
賛否はあります。
働く意欲が失われるという意見も理解できます。
しかし私は生活保護を受給しながらも、イラストや写真の仕事を続けています。
今年で活動は5年目になりますが、おかげさまで少しずつ右肩上がりのグラフにニヤニヤしています。
ちょっと遠出のロケが控えている前など、食費などをケチって行く事も、行った先で美味しそうな食堂を我慢したりもザラですが、むしろゲームの縛りプレイみたいで面白さすらも感じ始めたものです。
全く惨めには感じません。
むしろ「生活保護がダメだというなら、不要だとしても私の販売商品を毎月1つでも買って行ってくれたら、いま生活保護受けてないんっすよね〜。」とかまで本音をお漏らししてしまうと、それはいけませんね。
生活保護を受けているから、人は何もしなくなる。そうでしょうか?
必ずしもそうではありません。
安心して挑戦できる環境があるからこそ、新しい仕事に挑戦できる人もいます。
私は、生活保護を特別な制度だとは思っていません。
社会全体でリスクを分け合う仕組みの一つです。
狩猟採集の時代、人は獲物を分け合って生きていました。
現代では、その役割の一部を税金や社会保障が担っています。
だから私は、生活保護受給者を責めるよりも、お金がどう循環し、どうすれば誰もが安心して暮らせる社会になるのかを考える方が、ずっと未来につながる議論だと思っています。
生活保護を受けている人も、働いている人も、年金で暮らしている人も、誰もが社会という大きな循環の一部です。
私は、生活保護を特別な制度ではなく、「誰でも人生のどこかで利用するかもしれない社会の保険」だと思っています。
だから皆が後ろめたさなど感じず、「生活保護もらってます。」と日常会話で普通に言えるような空気感になったら、貧困で苦しい人たちの最後の駆け込み寺は、本来必要としている人々へもっと行き届くと思うんです。
お金は目的ではありません。
人が安心して暮らすための道具です。