脱電子旅行記 – HLHS0031

HiLocation
ペンネーム「鏡絵文字郎(かがみ・えもじろう)」として作家活動をしている私は、最近ややスランプ気味だった。
若い頃、出版社の一社員として働く中で様々な文献に触れるうちに、次第に自ら本を出す立場になる夢を抱くようになり、その夢が叶ったという身の上だ。
作家デビュー後、住まいも地方へ移した。自然豊かな千葉県の房総半島で暮らしている。都会の喧騒から離れて自然に囲まれれば、きっと作品にも良い影響があるだろう。そう思っていた。
しかし、現実は違った。
一台のパソコンで大半のタスクはこなせてしまうし、オフィス通いが必要なくなったことで外に出る用事が減った。たまに家のベランダの椅子から、紫炎をふかしながら外の木を眺めるのが自然との触れ合いと呼べる程度だった。
ある日、こんな記事を見つけた。
「デジタルデトックスか。」
パソコンなど電子端末を多用する人々が、意図的にそれらから離れることで脳の疲労を回復しようという試みだ。
体験者は「思考がクリアになった」「落ち込むことが減った」「表情が豊かになった」などポジティブな効果を得られ、世界中で注目が集まっている。
今の私はオフィスで勤務していた頃よりも圧倒的にスクリーンタイムが増えていた。最近は考えがまとまらなかったり、ぼんやりすることがあるのも自覚していた。
「やってみるか。」
さっそく私は旅の計画を練った。房総半島も候補に考えたが、せっかくなら少し遠くへ行ってみよう。
旅の日の朝、布団の頭上でスマホのアラームが鳴った。AM5:00だ。ヨロヨロと、どうにか布団から這い出して外出の身支度をする。旅先は山梨県に決めていた。家の最寄駅から列車を乗り継ぎ、桂川の渓流で森林浴をする旅だ。
出発時、スマホが視界に入った。
アラーム以降、今日はスマホを使わないで行動しようと思っていた。持っていく荷物からも外していた。しかし、いざ持たずに遠出するのはやっぱり不安だ。
結局、電源を切ったスマホをバッグのポケットに忍ばせ、私は家を出発したのだった。
時刻は7時代、乗っている特急列車は予定通りの時間でスムーズに走っていた。座席から車窓を眺めつつ、旅のおともとして持ってきた小説に目を落としていた。
錦糸町駅を出る前に放送が入った。
「前を走る列車が故障のため、この列車は錦糸町駅でしばらく停まります。」
これはしばらく動きそうにない。他に移動手段はないかと思い、バッグのポケットに手が伸びた。
「あっ…。」
自分でもそう思うほど、間抜けな声が漏れた。デジタルから離れる旅、今日の旅行はそれがテーマだ。
だが、これはイレギュラーな出来事であり、必要があるからスマホを使うのだ。
経路を調べるだけだと自分に誓って、乗り継ぎアプリから情報を見る。錦糸町駅で特急列車を降り、総武線の御茶ノ水駅へ迂回し、中央線を利用して山梨県を目指すことにした。
早々に迂回を決断したおかげで、目的地の鳥沢駅へは予定した時間とそれほど変わらずに到着。さっそく桂川渓流沿いに散策してみた。
爽やかな翠、草木が風に揺れる音、沢の水音、来てよかった。
「これは綺麗な花だ。」
川沿いの道端、一際鮮やかな一輪の花に目が止まった。まるで、気持ちよさそうに日光浴を楽しんでいるように私の目には映った。
花の名前が気になり、以前友人に教えてもらったサーチカメラアプリを思い出した。スマホのカメラを向けると、それが何であるかを教えてくれる便利なアプリケーションだ。
「んー…。」
どうやら私は感情が動くと間抜けな声が漏れてしまう癖があるらしい。結局再びスマホをバッグから出して、これっきりだと心に言い聞かせて、便利なアプリケーションの恩恵に預かった。
桂川は沢の近くへ降りる以外に、付近の山から全景を見渡せる展望台がある。沢の風景はだいぶ満喫したので、四季の丘展望台を目指して歩いてみることにした。
事前に周辺の道を調べていたものの、やはり土地勘がないところではすんなり行かないものである。特に地元の人が使うような入り組んだ道では、どの路地を曲がれば正解なのかさっぱりわからない。これ以上道に迷うと戻る時も深みにハマる可能性を感じ、スマホの地図アプリで経路案内を開始した。
今日三度目の「これっきりだと誓うスマホ」の恩恵だ。
展望台からは、さっき居た川沿いを含め、周辺の山々、そこを横切る中央線の新桂川橋梁も見えて、全景が広がるパノラマだった。しばらく風景に見惚れていたら、列車が走ってくる音が遠くから聞こえた。
今日は作家としての取材活動ではないが、外出する時は常にカメラを持ち歩く癖がある。バッグからカメラを取り出し、展望台から新桂川橋梁を渡る列車を写し止めた。
撮れた写真を背面モニターで見て、その美しい旅の思い出に嬉しさが込み上げた。そして気がついた。
「そういえば、このカメラもデジタルだよな。」
もうデジタルを使わないというこだわりもどうでもよく思えていた。もっと言えば、普段からどれだけこの便利な力の恩恵に預かって、豊かな生活を実現できているのかを痛感させられていた。
だいぶ満足し、下山して駅から帰りの列車に揺られた。久しぶりの遠出で、心地よい疲労感から座席に身を預け、すぐに眠ってしまった。
帰宅して、今日のことをノートに書き残しておこうと思った。
「完全なデジタルデトックスは難しかった。経路、調べ物、その他あらゆる場面でテクノロジーに頼らずに過ごすのは、もはや不可能かもしれない。」
そして、こう続けた。
「でもバランスを取ればうまく付き合える。食事が偏れば体調を崩すのと同じことだ。」
外へ出てたくさん歩いたこと。自然に包まれたこと。そして、やっぱりスマホは便利だったこと。
「デジタルデトックス」を意識していたからこそ、動画やSNS、電子書籍などでスマホを見ることはなかった。ただ時間を潰すための退屈しのぎで使うのではなく、自らの行動を補助する心強いツールだった。
日常で手軽に、言い換えれば「雑」にテクノロジーへ手が伸びてしまうが、なるべく頼らずに自分でなんとかする意識は、心の片隅に置いておきたい。
手のひらにこんな心強いツールが乗っている便利な時代に、一度距離を置いてみることで、そのありがたみを再確認できた。
とても良い旅行だった。